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第六話 憧れの結婚式

Author: 月歌
last update Last Updated: 2025-07-04 15:40:30

真木家の洋館は、静かに時を刻んでいた。

結婚式を三日後に控えた朝。レース越しの光が窓辺に淡く射し込み、カーテンの裾を揺らしている。風もないのに、まるで何かが呼吸しているかのように。

広間にしつらえられた打ち合わせ用のテーブルには、色とりどりの布地のサンプルや、焼き菓子の試作品、メニュー表の下書きが並んでいた。

隣の小部屋には、仕立て上がった衣装が丁寧に掛けられている。

白無垢、色打掛、そして洋装のウェディングドレス。

すべてに最終の検品タグが下がっており、仕立て屋の手によって完璧な仕上がりが整えられていた。

「白無垢も、色打掛も綺麗……。ドレスの裾は、もう少し短くして正解だったわね」

ひかりはひとり頷きながら、慎重に衣装を眺めていく。

真珠の髪飾りの光沢や、刺繍に込められた細工の精緻さに目を細めながら、静かに呼吸を整えた。

夫――玲一郎の軍装も、傍に用意されていた。

式当日に着るのは、飾緒と肩章があしらわれた大礼服。

軍人としての格式と、凛とした気品を備えた衣装だ。

(きっと、似合う)

思わずそう胸の中で呟き、次の瞬間、自分が頬を赤らめているのに気づいて、ひかりは小さく首を振った。

浮かれている場合ではない。これは契約の結婚式なのだから。

喫茶店を切り盛りしていた頃、彼女は「居心地のいい空間とは何か」をずっと考え続けていた。

どのテーブルにどんな装花を置けば人が笑顔になるか、照明の色味が料理の見た目をどう変えるか、そんなことばかり気にしていた日々。

その経験は、今、伯爵家の広間をゆっくりと華やがせている。

母・澄江が駆け落ちして以来、重苦しい沈黙が落ちていたこの館にも、ようやく人の気配と柔らかな色が戻りつつあった。

料理の打ち合わせも、昨夜すべて済ませた。

招かれる客の顔ぶれを思い浮かべながら、洋皿と和の一品を交互に組み合わせ、ひかりなりの工夫を凝らして献立を調整した。

デザートには、「香蘭堂」で評判だったオレンジピール入りのパウンドケーキも添えられる予定だ。

「伯爵家に相応しい結婚式にしないと……」

招かれるのは、真木家や如月家、そして政財界や軍の関係者たち。

そこに有坂家や、ひかり自身の関係者の姿はない。

両親が亡くなった際に広まった根も葉もない噂が、人々の足を遠ざけたのだ。

それでも、ひかりはもう諦めている。そういうものだと、静かに受け入れていた。

そのとき、背後の扉が静かに開いた。

夫――玲一郎が、無言で室内へと入ってくる。

彼は今も軍人として任務に就いており、日々その務めを果たしている。

「ああ、ごめんなさい。すぐ片付けますね」

「……ああ。構わん」

それだけを告げると、玲一郎は黙って椅子に腰を下ろした。

彼が口を出すことはない。反対もせず、肯定もせず。

ただ、すべてを彼女に委ねているように見えた。

だからこそ、ひかりは胸の奥が少しだけ痛むのだった。

――何も言ってくれないのは、信頼されているから?

――それとも、どうでもいいと思っているから?

偽りの結婚。

本来なら、こんな準備に心を砕く必要もなかった。

なのに――

「……玲一郎さんの式服は軍服ですよね?」

「ああ。大礼服だ」

「素敵でしょうね」

そう呟いたあとで、ひかりは契約結婚であることを思い出し、浮かれるなと心の中で自分をたしなめた。

彼女の独り言は、玲一郎の耳には届いていないようだった。

彼は窓の外を見つめたまま、まぶたを閉じている。

胸の奥で、乾いた風が吹いた。

それでも、ひかりは笑顔を浮かべて次の花を選ぶ。

――せめて、この家にもう一度、温かな光が満ちますように。

その祈りにも似た想いだけが、彼女を動かしていた。

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